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ニコラス・ブレイク著『野獣死すべし』を新たにドラマ化ーー『ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ』の挑戦(文/大山誠一郎) original image 16x9

ニコラス・ブレイク著『野獣死すべし』を新たにドラマ化ーー『ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ』の挑戦(文/大山誠一郎)

解説記事

2022.03.04

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『アリバイ崩し承ります』『赤い博物館』『密室蒐集家』などで知られるミステリ作家・大山誠一郎さんが、ニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』の最新ドラマ版『ビースト・マスト・ダイ』を観て感じた魅力とは――?

目次

時代や地域を超え愛される名作ミステリ『野獣死すべし』

「わたしは一人の男を殺そうとしている。その男の名前も、住所も、どんな顔だちかもまるで知らない。だが、きっと捜しだしてそいつを殺す……」

 英国のミステリ作家、ニコラス・ブレイクが一九三八年に発表した『野獣死すべし』は、こんな印象的な書き出しで始まります。

幼い息子をひき逃げで失ったフランク・ケアンズは、警察は頼りにならないと悟り、独力で犯人を突き止め復讐することを決意する。彼は推理のみによってひき逃げ犯を見つけ出し、正体を隠して近づき、復讐の機会を虎視眈々とうかがう。しかし復讐は失敗、しかもターゲットは何者かに殺害されてしまう……。

 無数の人々の中からひき逃げ犯を見つけ出す推理の面白さ、正体を隠してターゲットに近づいていくサスペンス、復讐の失敗とターゲットの死により倒叙ミステリが一転して犯人捜しに変わるというツイスト、我が子を失った悲しみと復讐行を綴った父親の手記の高い文学性――それらにより、『野獣死すべし』はブレイクの代表作であるのみならず、英国ミステリを代表する作品の一つと見なされ、高い評価を得てきました。

 多くのクリエイターがその魅力の虜となりました。たとえば、クロード・シャブロル監督による一九六九年の映画を含め、これまでに三回、映像化されています。それも、アルゼンチン、イギリス、フランスとそれぞれ別の国でです。また、日本の本格ミステリ界をリードする作家の一人、法月綸太郎氏は『頼子のために』で、娘を殺された父親が復讐を手記に綴るというかたちで、本作へのオマージュを捧げています。

 かくいう私も、『野獣死すべし』に魅了された一人です。高校生のときに『野獣死すべし』を読んで感動し、いつかこのような作品を書いてみたいと思い続け、二十数年後にその名も「復讐日記」という短編でオマージュを捧げました。

 時代や地域を超えて、さまざまなかたちにアレンジされ、新たな解釈を施され、後続作品に多大な影響やインスピレーションを与える――そうした作品を古典と呼ぶならば、ギリシャ劇やシェイクスピア劇がそうであるように、『野獣死すべし』も今や紛れもない古典の一つと言えるでしょう。

ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ

新たな解釈が引き立つドラマ版

『野獣死すべし』が『ビースト・マスト・ダイ』というタイトルで新たにドラマ化されたと聞いたとき、私は原作ファンとして喜ぶとともに、どのような解釈のもと、どのようなアレンジが施されたのだろうと興味を惹かれました。

 幸運にも視聴する機会をいただいたのですが、まず目を引かれたのは、原作のさまざまな設定がアップデートされていることです。

 我が子を失い復讐に憑かれた主人公は、原作の白人男性フランク・ケアンズから黒人女性フランシス・ケアンズに代わり、一九三七年という時代設定は、スマートフォンやパソコンが日常的に使われる現代に移されています。探偵役のナイジェル・ストレンジウェイズも、ディレッタントな青年私立探偵から、同僚の死亡によるPTSDに悩むスコットランドヤードの若き警部補に代わっています。

 新たな舞台に選ばれたのはワイト島。美しい自然に恵まれ、観光地として有名で、ワイト島一周レースで知られるようにヨットも盛んです。海とヨットが重要な役割を果たす『野獣死すべし』の物語には打ってつけの舞台と言えるでしょう。

 この島で息子をひき逃げで失った教師のフランシスは、警察の捜査に失望し、仕事を辞めて島に移り住み、独力で犯人を探し出すことを決意します。一方、同僚の死によるPTSDに悩むスコットランドヤードのストレンジウェイズ警部補は、ワイト島の警察署に転勤になり、そこで前任者が担当していたひき逃げ事件を引き継ぐことになる……。

 ストレンジウェイズを刑事にし、ひき逃げ事件の担当者とするアレンジに感心しました。これにより、捜査側の視点を冒頭から導入することができ、物語がより重層的になります。ストレンジウェイズの悩むPTSDや、前任者の捜査に関する疑問も、物語をさらに重層的にしています。

 そして、我が子を失った母親フランシスの深い悲しみと、何かに憑かれたような独力の捜査、時折挟まれる我が子のカットバック、それらがワイト島の美しい自然を背景に描かれる場面は圧巻です。

ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ

ドラマ版における最大のアレンジ

フランシスはひき逃げ犯を発見して近づき、その家庭に入り込み、そしてついに復讐を実行しようとします。『ビースト・マスト・ダイ』の最大のアレンジはこのパートにあると言えるでしょう。原作ではこのパートは父親の手記のかたちで描かれ、全体の約三分の一を占め、その後は犯人捜しに移るのですが、『ビースト・マスト・ダイ』ではこのパートが全六話のうち実に五話を占めています。製作者がこのパートをそれだけ重視し、力を入れていることがわかります。

 このパートがこれほど長くなっているのは、フランシスと、ひき逃げ犯ジョージ・ラタリーとのやり取りにたっぷりと場面が割かれているからです。

 ジョージは、原作では単純で粗暴な男として描かれていますが、『ビースト・マスト・ダイ』では、名優ジャレッド・ハリスに演じられたことにより、そしていくつものエピソードを追加したことにより、粗暴なだけではない深みを備えた存在となっています。

 傲慢で、家族に対して抑圧的で、好色で、息子のフィルに厳しく当たる、冷酷とすら言える人物。しかし同時に彼は、懸命に働いて家族に豊かな暮らしを与え、家族とのピクニックを楽しむ家庭的な側面を持ち、父親としてフィルの成長を案じてもいます。義妹が友人として連れてきたフランシスを自宅に滞在させることを許可するなど、寛大なところもあります。決して視聴者の感情移入を完全に拒む存在として描かれてはいません。それは、六話冒頭でちらりと描かれる少年の日のジョージと姉ジョイの描写からも明らかです。

 こうしてジョージが単なる粗暴な男以上の深みを得たからこそ、フランシスとジョージの対話や対決はこの上ない緊迫感をもたらします。フランシス役のクシュ・ジャンボとジョージ役のジャレッド・ハリス、二人の名優の演技合戦は息を呑むような迫力です。

 復讐する者と復讐される者の対話と対決を、重厚な人間ドラマとして余すところなく描き出したこと。それが、『ビースト・マスト・ダイ』の最大の魅力と言ってよいでしょう。

ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ

『ビースト・マスト・ダイ/警部補ストレンジウェイズ』
原題:THE BEAST MUST DIE

(c) 2021 BritBox, New Regency TV Productions Limited and Scott Free Films Limited. All rights reserved
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